その他編

ザンギリ頭と文明開化

「ザンギリ頭をたたいてみれば、
              文明開化の音がする」


髪型というのは、その時代の風潮を表したもののひとつです。

ザンギリ頭は当初、惣髪頭(そうはつあたま)を少し短くしたものでした。

惣髪頭とは、髪全体をのばし後ろで束ねて結ぶ型で、医者、儒教者、神官、山伏などがこの髪型をしていました。

明治6年ごろになると、いわゆる開化風に髪を分けるようになりました。

その分け方は、頭の中央で分ける型や七三か六四に分ける型がありました。

その後も年とともにザンギリ頭が広がり、明治20年頃にはほとんどの男性がこの髪型になりました。

これと平行して着る物も、着物から洋服へ移って行きました。

日本人で初めて洋服を着たのは、徳川幕府の軍人たちでした。

西洋から輸入した近代兵器を身につけたり、操作するのに和服が不自由だったようです。

しかし、当時の洋服の採用にはかなりの抵抗があったようです。

その大きな理由は、洋服のイメージが「平等」だったからでした。

和服が身分制度を形にあらわすことに適していましたが、洋服にはそれが感じられなかったのです。

そこで徳川幕府は洋服の着用を限定し、軍艦乗組、武者修行、軍事訓練のときだけ許可しました。

そして慶応2年に、幕府は洋服を陸海軍の平服と定めました。

これに対して長州藩でも洋服の採用をすすめ、その後の戊辰戦争の官軍の平服となりました。



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