薩摩藩士編

島津斉彬の最終的な目的は・・?

島津斉彬 島津斉彬が歴史の舞台に登場して急死するまで、薩摩藩主は僅か8年間だったが驚くべき業績を残している。

彼が倒幕を考えていたかどうかは定かではないが、京都の朝廷と手を組んで幕政改革を行おうとした事は確かである。

参勤交代で薩摩に帰る途中、孝明天皇に拝謁し「事が起きれば大兵を率いて上洛し、皇城をお守りします。」と約束をしている。

島津斉彬は積極的な開国主義者であり、欧米列国のアジア侵略を心配していました。

アヘン戦争で清国が敗れたことにより日本の知識層に国防という問題を考えるきっかけになり、これが強硬な攘夷思想に繋がったのである。

アメリカの開国の要求に対し本来は開国か鎖国かで議論するところ、公武合体論、尊王攘夷論を経て倒幕運動へと至ったわけです。

斉彬の死後、実権を握ったのが異母弟の島津久光でした。

久光は典型的な保守派の人物で、時代の流れに逆行し徳川を倒し薩摩藩がトップになろうと画策していた。

久光の一連の幕政改革や公武合体への行動が裏目に出て、急進派の過激な行動を起こす結果となった。

島津斉彬の意志をついで倒幕に進めばよかったのだけれど、西郷隆盛などを処分した為求心力を無くしてしまいました。

兄の斉彬に比べて先見性や国際センスなどは持ち合わせておらず、最後まで封建的な田舎者であった。



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